松村 雄己(まつむらゆうき), C.O.M.T., C.C.P.
【職業】整体師、メンタルコーチ、
占い、風水、結界師、陰陽師、開運アドバイザー
【生年月日】1985年7月27日生まれ A型
【学歴】
・あけぼの保育園
・西小学校
・崇廣中学校(ソフトテニス部)
・上野高校(硬式テニス部)
・京都産業大学 経済学部 経済学科
【職歴】
・建設機械リース会社 営業
・高齢者向け有料老人ホーム 総務
・リラクゼーションサロン 店長
【趣味】
旅行、グルメ、カラオケ、ドライブ、バイク、テニス、etc.
【所有資格】
日本ソフトカイロプラクティック協会 講師
Palms Chiropractic College卒業
PIBW認定 Professional Cranio-Practitioner
OCO認定 頭蓋仙骨療法アドバンス国際コース修了
神経整体セミナー修了
DRT(ダブルハンドリコイル)強化セミナー修了

癒楽身体療法 各種セミナー修了
カサハラ式フットケアポディスト
CODE15セミナー修了 ほか多数
 ※C.O.M.T. / Certified Osteopathic Manual Therapist
 ※C.C.P. / Certified Chiropractic Practitioner

現在に至るまでの私の人生

プロフィールページをご覧いただきありがとうございます。
ここでは、整体師としてだけではなくメンタルコーチとしてもたくさんの方の人生をサポートさせていただくまでに至った私のストーリーをお話させていただきます。

家族の仲が悪く毎日布団の中で泣いていた小学生時代
もう今から30年以上も前のこと。一人っ子だった私は両親と祖父母の5人家族、両親は共働きで、父親は夜勤も多くあまり家にいなかった国鉄職員。母親は朝早く帰りも遅い勤めの美容師。両親とも家にほとんどいなかった私の面倒を見てくれたのは父方の祖父母でした。小学校ではリーダー気質で友だちと遊ぶのが大好きだった活発な少年でした。しかし家では、毎晩のように繰り広げられる母親と祖母の口論に、両手で耳を塞いで布団の中にもぐりこみ、ケンカの声が聞こえないよう辛抱する毎日でした。そんな事が毎日でも続くと、子どもでもこの辛さから解放されたいって思うんです。布団の中で舌をグッと噛みちぎって死のうと思って、けどやっぱり怖くなって泣いて、そのまま寝てしまうなんていう夜も少なくありませんでした。そんな影響からか、家族がケンカにならないよう親や人の顔色を伺うようになったのもこの頃からでしたね。しかし所詮は子どもの考える浅知恵、家族のケンカが止まるわけはなく、母親と家出し、山添の実家から小学校に通うこともしばしば。そしてある日、事件が起こります。母親の父(祖父)が行方不明になりました。地域で大捜索となり、自宅の裏山で首を吊っているのが発見されました。借金からの自殺でした。それからというもの家族関係はさらに悪化していきます。

「自分を殺して人の顔色を伺ってしまうのが辛い」、そう言って私のもとへ相談に来られる方はとても多いんです。あなたは大丈夫ですか?「自分を押し殺す」これが自己否定となり、自己肯定感を下げていると知ったのは、私がセッションに出会い、心理学を学ぶようになってからのことです。

ちょっと大人になった中学生時代
しかしそんな私も中学生になる頃には、心も成長してきたのか、多少のことは辛抱できるようになりました。家族のケンカは相変わらずだったけれど、自分が気にしなくなると学校生活にも集中でき、部活動ではソフトテニス部のキャプテンを任されるようになりました!部活動に明け暮れた私は、幸い友人には恵まれ、毎日のように学校帰りに友だちが遊びに来てくれて「こんなに楽しい日がずっと続けばいいのに」そう思っていました。しかしそんな楽しい日々は長くは続かないものなんですね。忘れもしない中学2年生の夏。頻度こそ減ってはいたものの変わらず続いていた家族のケンカ。その際、初めて私は家族に対して声を荒げたのです。「うるさい黙れ!」そう怒鳴った私の右手は部屋の戸を突き破りました。思えば初めての親への反抗だったかもしれません。しかしそんな私の精一杯の抵抗も虚しく、私が中学を卒業するタイミングで両親の離婚が成立します。

「イライラが抑えられない」といってセッションを受けに来られる方も多くいらっしゃいます。怒りの根源は、実は悲しみ。心理構造としては思い通りに行かないことが悲しくて、それを怒りとしてぶつけてしまうんです。セッションで自己理解を深めていくと、感情のコントロールもうまくできるようになるのでご安心ください。

不登校になった高校生時代
高校生になると同時に、私は母親と家を出ることになります。次に住む場所が決まっていなかったので、母の勤める美容室に居候させてもらうことになりました。恥ずかしながら、日曜の夜にテレビで見ていたサザエさんが家族の理想像と思っていた私にとって、両親の離婚ほどつらい事はありませんでしたが、それと同時に「もう家族のケンカを聞かなくて済む。」そう思うと心が少し救われました。しかしそう感じたのも束の間、高校への通学途中のことでした。毎朝、通学路に不自然に止まっている見慣れた車。祖父母でした。今となって思えば、孫を想う祖父母の気持ちはわからなくもありません。ですが当時の私にとっては「僕と母を追い出したくせに!」、毎朝待ち伏せのように様子を見に来る祖父母の行動にひどく苛立ち、精神を乱されていきました。監視の目が嫌で不登校にもなり、学校に行けない時期もありましたが、そんな高校生活も終わりを迎える頃、私の人生に転機が訪れます。

セッションを受けに来られるのは何も大人の方だけではなく、不登校で学校へ行けないという学生さんも多く見られます。このケースは学校でのトラブルが原因というよりは、最近だと意外にも親子間でのコミュニケーション不足(愛着障害)が原因になっていることが多いんです。

全てから解放された大学生時代
高校3年生にもなると、心の不安定から何もやりたいことがなかった私でも、就職か進学かの進路を決めなければなりませんでした。そんな時「外の世界を知るのも大事だから大学に行っておいで」と、生活も楽ではなかったのに、母はそう言って私を大学へ行かせてくれました。当時は特に大学に行きたいわけではなかったけれど、伊賀の地から離れることで何か変わるかもしれない、そう思い京都の大学で一人暮らしをすることになりました。家事に炊事、何もできなかった私は一人暮らしに悪戦苦闘しますが、祖父母の監視の目から解放されたことが何よりの大きな安心材料でした。大学生活は本当に楽しいもので、学業はそこそこしかできませんでしたが、硬式テニスサークルに所属し副部長を任され、60名ほどいた部員をまとめてテニスに遊びに旅行と、色々な経験をすることができました。しかし4回生になれば、友人たちがなりたい職業に就職していく中、相変わらずやりたいことのなかった私は、場面緘黙(※緊張して人前で黙ってしまう)で面接がうまくいかず、なかなか決まらない内定に焦っていました。そして卒業も近づいた春先、ようやく就職先が決まります。

実はこのやりたいことがない、というのがメンタル的には非常にまずい状態なんです。本当はやりたいことがないのではなく、やりたいことはあるけれど、私にはできないし、お金が、時間が、どうせ食べていけないから、とできない理由を並べて本当のあなたの心を見えなくさせているんですね。人間が悩みなく生きる方法は、実は心理学ではすでに答えが出ており、「主体的に生きる=やりたいことをやって生きる」と言われています。逆にやりたくないことばかりやっているとどうなると思いますか?私を例として続きを見ていきましょう。

そして鬱になった社会人時代
採用していただけたのは建設機械のリース会社でした。数か月の研修の末、神戸に赴任することになったのですが、特に仕事にやりがいを感じていたわけではない私は、やはり仕事が続かず1年足らずで退職します。「何かしなくては!」その気持ちだけが焦り、次に決まった名古屋の有料老人ホームで、今度は心を壊すことになります。結局前職と同じ、やりたい内容ではなかったため、自分から仕事を見つけに行くということができなかった私は、次第に上司からの圧力に耐えられなくなり、急に涙が溢れてきたり、日夜続く頭痛に悩まされるようになりました。そんな状態がしばらく続いた頃、抜け殻のように無気力になってしまった私は、どうにか気力を振り絞り最寄りの心療内科へ足を運びました。「うつ状態ですね。」まさか自分が!?『あなたは社会不適合者です』そう言われたように感じ、自分の不甲斐なさと親への申し訳なさで圧し潰されそうでした。そこから退職への流れは早く、再就職できたその会社も1年たたずに辞めることになりました。

人間の心は、やりたくないことをずっと続けていると鬱になるんですね。しかしこれは、それ以上ムリしないでという防衛本能の一種なんです。【人生とは自分を生きること】、今や寿命100歳時代、やりたくないことから逃げ続ける人生ではなく、やりたいことを見つけて満たされた心で生きたくないですか?それが本来の人生のあるべき姿だと僕は考えています。そのためにはまず自分のことを知ることが凄く大切なんです。

生きてるのがつらかったニート時代
せっかく再就職できた会社もまた辞めてしまい、しかも今度はメンタルまで壊してしまうオマケつき。母親が一人で暮らす実家に帰ってきました。無気力で何もできない状態に、最初のうちは母親も心配していました。当の私はというと、働いてもまた辞めてしまうんじゃないだろうか?こんな自分に何ができるんだろうか?何が向いてるんだろうか?あれはダメ、これはダメ!と行動もせず、ネットの情報ばかり鵜呑みにして頭でっかちの状態。そんな生活が半年、1年と続くと、いい加減母親からも「いつ働くの?」という言葉が出るようになり、やりたくてもできない葛藤から母親にきつく当たってしまう自分にまた罪悪感を感じるという悪循環に陥っていました。とはいえ良くなりたいという気持ちはあったので、脳の検査を受けに行ったり、良いと聞けば大阪や京都まで針灸や整体も受けに行きました。ですがなかなか無気力と頭痛は良くならず、うつ診断から2年が経とうとしていた時、半ば諦め気味で行ったカイロプラクティックで少し症状が良くなり始めたんです。そして私の人生は再び動き始めます。

「やりたいけどできない」これを葛藤といって、この葛藤が我々の悩みや不安の大きな原因になっています。動きたいけど動けない、学校に行きたいけど行けない、ポジティブになりたいけどなれない、これらの葛藤には実は潜在意識に明確な理由があり、それらがセッションで明るみになったとき、葛藤や悩みそのものが気にならなくなるという状態になれるんですね。

生きがいを見つけた整体師時代
他の治療とは違う感触を受けたカイロプラクティックに毎週1年ほど通った結果、あれだけつらかった頭痛がなくなったんです!そして先生から思わぬ言葉が。「カイロプラクティックを勉強してみない?」当時はまだ仕事もしていなければ収入もありませんでした。高額なセミナー費用にどうしようか?迷ったのも事実で、しかしこれ以上失うもののなかった私は、もしかしたら”自分と同じように困っている人の役に立てるかもしれない”そう思い、カイロプラクティックを学ぶことを決心したのです。『人の役に立ちたい』そんな生きがいを見つけた私は、水を得た魚のようにあれだけ無気力だった心にもやる気が湧いてきて、そこからはひたすらカイロプラクティックの勉強に明け暮れます。アルバイトでマッサージをする傍ら、各地の勉強会に顔を出すといった生活を繰り返し、数年後、私は念願の整体院を開院することになりました。自宅の裏庭に小さなプレハブ小屋を建ててのスタートでした。しかし「あそこに行ったら良くなるよ!」そんなみなさまの口コミのおかげで、どんどん地域で評判になっていき、数年が経つ頃には隣の土地に整体院を移転。カイロプラクティックに留まらず、あらゆる整体法を学び、勉強に費やした費用は軽く1,000万を越えました。その甲斐あってか、伊賀で一番予約が取れない整体院と言われるようになり、小さな頃から色々つらい経験をしてきましたが、ようやく報われた…そう思えた時でした。

あまりの忙しさから自分を見失った迷走時代
仕事もうまくいき、その間に結婚、第一子を授かり、全てが順調にいってるかのように見えました。しかし人の顔色を伺ってしまう、お願いされたら断れないという性格は変わらず、週6日朝から晩まで一日中働くという日が続いていました。せっかくできた家族とも、一緒に過ごせる時間は仕事の終わった22時過ぎと週1の休みの日のみ。「時間はないけど、お給料は入ってくるから!」そう自分に言い聞かせ、そんな生活を続けていくうちに夫婦の溝は次第に大きくなっていきました。金銭面での余裕は出来たものの、家族で出掛けることはおろか、一緒に晩御飯を食べる時間すらないという日々に、妻とぶつかる機会も増え、何が楽しくて生きてるんだろう?なんのために生きているんだろう?そんなことばかり考えるようになりました。このままでは離婚した両親と同じことになってしまうのではないか?自分が経験してつらかった想いを、子どもにさせてしまうのではないか?そんな不安まで出てきて、良くなったと思っていたうつ症状が再発し、また精神的に追いこまれていくようになったのです。

セッションと出逢った自分大改革時代
そんな折、とある整体セミナーで1人の先生と出逢います。整体師でありながら元神主という異色の経歴を持ち、さらに風水や占いをはじめ、あらゆる学問に精通した方で、悩んだら占い?くらいの頭しかなかった当時の私は、その先生に「占いを教えてください!」と懇願しました。先生は快く引き受けてくれて、算命学という最古の占術を教わりました。そしてその中で、占いはあくまで統計学、現実を変えるなら自分自身と向き合う必要があるということも教えてくれました。それが、本来の自分から分離してしまった自分を取り戻す心理療法【自己統合セッション】との出逢いです。先生は全国にクライアントさんを持つ有名なメンタルコーチでもあり、月に2回セッションを受けるようになりました。そこで、育った環境や親の影響から”こうしなければいけない”という固定観念(こだわりやルール)が作られ、その枠に囚われすぎることが生きづらさを生むということを知り、セッションを通してその囚われから解放されていくごとに
自身の悩みが次々と解消されていきました。自己犠牲ばかりして自己肯定感の低かった私が、どんどん自信に満ち溢れ、自分のことも優先しながら人のことも気遣える、そんな風に心に余裕を持てるようになりました。今では夫婦仲は良好に戻り、子どもも3人授かり、休みも自由に取りながら、毎週子どもたちと出かけ、家族で旅行へ行ったり人生を思いっきり楽しめるようになったのは、セッションを通して自分自身と向き合うことができたから。

けど自分自身と向き合うのって怖いんです。だって自分の見たくない部分も見ないといけないから。だからみんなそうすることを避けたがるんです。ですが一人ではつらいことも、同じ経験を乗り越えてきた私が一緒に向き合うので安心してください^^

あなたを導くメンタルコーチ時代
そこから『こんなに素晴らしいものは一人でも多くの人に届けないといけない!』そう思い、心理学や脳科学、量子学、また仏教や神道といった人間真理などからなる自己統合のセッションを学び、自分自身がぶつかった「なんのために生きているのか?」、また自分の考え方次第で、人生はいつからでも変われる!ということを、今現在も悩みを抱え苦しんでいる人たちに伝えていこうと立ち上がりました。おかげさまで今では一般の方だけではなく、同業者の整体師の先生や経営者の方、スポーツ選手といった方たちにまで自己統合のセッションを提供させてもらい、悩みや不安から解放された明るい人生のサポートをさせていただいております。

私は一度っきりの人生を悔いなく、ただ思いっきり楽しみたいだけなんです!人生100歳時代とも言われていますが、あなたにはあと何年ありますか?残りの人生を今のまま過ごされるのも良いでしょう。ですが、あなたが思い切ってセッションを受けたいと決断されるのであれば、私は「あなたの人生を今よりももっと楽しいものに」変えるお手伝いをできるかもしれません。ぜひ私のセッションを受けて、人生をもっと自由にもっと楽しくしていきませんか^^♪